関東大震災の安否確認 その2

つづけます

国立国会図書館デジタルコレクションで「菊立花」を検索すると

芸妓屋業「菊立花 山本いね 京橋区八官町5」と分かりました

現在の位置は「銀座8丁目」付近

八官町6番地には

株式会社東京国債銀行があったようです

八官町辺りには芸妓屋が多く、関東大震災では芸妓屋(八官町24番地)から起こった火災が広がり・・・

関東大震災の調査報告書に詳細に記載されていました

震度分布では

八官町は震度4.75 家などの損壊は無く、「地盤」で被害状況が大きく異なり、八官町周辺は火災による被害だったことが分かりました

関東大震災の安否確認

昔紹介した関東大震災の写真

ニコライ堂が写っています

もう一枚の撮影場所は?

良く見ると

菊立花〇 浜町の宅の前へ来い(田口) 村岡も居?る 張り紙あり

松谷さんへ金田あいさんが心配している 居所しらせよ

今夜〇 伊〇さんの ——– る——–午后

震災から数日後と思われますが、崩れた壁に安否確認の文言が書かれています

右手の建物は大きく、入口がアーチ状になっています

撮影場所を特定したいです

青春の記録「森林鉄道に乗るには」

「国立国会図書館デジタルコレクション」と「公文書館デジタルアーカイブ」でいろいろ検索しています

試しに「森林鉄道」で検索をしましたら

銀河書房編の「木曽の森林鉄道」が見つかりました

実はこの本には私が登場します

この本が発行されて買った時にびっくりしました

昭和46年夏、木曽森林鉄道に乗車した時に撮影されていました

客車の出入り口に腰掛けていると、カーブでは台車の動きに合わせて脚が少し回転しました

但し、職員の方から「出入り口に腰を掛けるのは危険!」と注意をされました

国立図書館デジタルコレクションでは森林鉄道の記録がたくさん閲覧できますので、ぜひご覧ください

福井へ

28日(木)金沢へ買い物に行くつもりで出発しましたが・・・・

飛騨清見インターまで行くと「白川郷~五箇山 通行止め!」の表示がでていました(原因は故障車)

そこで急遽行き先を変更して福井へ

福井市内へ入ってまずは腹ごしらえ

ヨーロッパ軒のソースかつ丼セット(1300円) ご馳走さまでした

足羽神社(あすわじんじゃ)を参拝して

24日に勉強した「田中大秀」関係の石碑を見学

弘化4年(1847)に建てられた「継体天皇御世系碑」

はっきりとした文字が整然と彫られていました

最近「歴史の学習」にはまっており、江戸時代もたいへん身近に感じます

いにしえの国鉄バス形式図集

神奈川バス資料保存会が同人誌として発行された「いにしえの国鉄バス形式図集」を取り寄せました

図面がたくさん掲載されているので、比較すると「バスの基本寸法」を学ぶことが出来そうです

多分今年も、norigonさんが新しいファイバー紙製キットを作られると思いますので楽しみです

(と言っても「上級者向けキット」故、今までのキットは完成まで至っていません・・・ごめんなさい)

デジタルアーカイブ

3月に入り、ちょっと工作はお休みして歴史調査をしています

ウィキペディアからの情報は概要を掴む程度にして

国立国会図書館デジタルコレクション

国立公文書館デジタルアーカイブ

最近の学術論文も引用を重ねているので・・・?部分もあり

デジタルアーカイブで検索を重ねると、情報の大元が見つかるので面白いです

書籍の奥付を記録して

時系列で整理しています

遠州へ行ってきました 2月16日

遠州二日目

ホテルプレストン吉田の朝食

手作りでいつも美味しく頂いています

吉田町から御前崎市の池宮神社へ

中学校の遠足以来の桜ヶ池

神聖な雰囲気が素敵でした

新野川橋を観察へ

「駿遠線を歩く」に掲載されている約60年前の写真と比較します

模型化へのイメージが掴めました

東名高速で掛川IC~浜松西IC

恩師にお目に掛かるために「遠州栄光教会三方原」へ伺いました

ここからは久しぶりに国道257号線を通って高山へと向かいます

本長篠からは県道32号 

奥三河は高山からの日帰りドライブではちょっと遠くて未知の地域です

「道の駅したら」で休憩

特製鶏そば醤油味

田口線の電車が保存公開されています

電車の中には森林鉄道の案内もされており

奥三河郷土館内にも

森林鉄道の展示コーナーがありました

このような写真を見ると、森林鉄道モジュールを作ってみたくなりました

その後、恵那・中津川・下呂を経由して夕方帰宅しました

二日間の総走行距離622.3Kmはガソリン1回の給油走行距離でした

遠州へ行ってきました 2月15日

久しぶりの遠出です

2月15日午前6時半出発

東海北陸道~東海環状道~新東名

遠州森町SA

10時半過ぎに掛川へ

3回目の掛川城へ登城

街を見下ろしました

大日本報徳社の二宮金次郎像

旧松本邸 竹の丸

今回の目的のひとつ

掛川市図書館で古文書の調査

掛川の町並みを歩き

魚粉をいっぱいかけた「静岡おでん」

東名高速で掛川~焼津へ移動して、魚センターで買い物したあと

藤枝市立郷土博物館でモジュールを受け取り

JR藤枝駅へ

展示を確認しました

吉田町のホテルまで332.6Kmでした

夜は小学校の友達10名で懇親会

楽しい時間を過ごし、ご馳走さまでした

駿遠線新野川橋 その1(序章)

早いもので、2月に入りました

昨年は駿遠線袋井工場を作りましたが、今年は「新野川橋付近」を作ります

実は袋井工場の前に新野川橋を予定していましたが、資料集めなどが間に合いませんでした

鉄道車輌に比べて、軌道敷の資料は見つけ出すことが難しと思います

駿遠線新野川橋は現在の御前崎市にありました

昭和23年の堀野新田と新三俣間の接続時点に開通しています

GoogleMapのR150、くれたけイン御前崎近くの道路橋の位置に駿遠線新野川橋がありました

道路橋延長は?

昭和47年と平成6年に架けられ、共に61.6mあります

この赤点が公開されている橋梁資料です

「全国Q地図」をご紹介します

全国の橋の名前・池の名前・バス停の名前などが公開されています

出典を明示します

1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」も公開されています

地震前(2020,2022年)

輪島市門前町黒島地区

港が4m隆起した様子が良く分かります

このように地図を選択することにより比較できます

新野川橋に戻って

「軽便の思い出(阿形昭著)」に記載されている駿遠線線路平面縦断面図では新野川橋の長さは1110×2+1080×1=3300 3スパン計33mです

現在の道路橋は61.6m この違いを調べました

国土地理院空中写真 昭和27年と昭和37年を比較すると

河川改修されて川幅が広くなっているように見えます

下流の河川改修は良く分かります

新野川左岸河口近くが中部電力浜岡原子力発電所です(GoogleMap)

浜岡(池新田)と言う地名は砂丘地帯に出来た池(海岸が隆起して、池が出来た)を開拓して田んぼにしたことによるもの

新野川は排水路として作られた歴史もあるようです

昭和23年に開通した新野川橋がその後いつ(かなりの期間運休になったと思われますが)どのように改修されたかは記録を見つけることができません

昭和37年の空中写真を拡大すると、橋脚が4基あり、5スパンとなっています

駿遠線を歩く(阿形昭著)P39 撮影 内藤正己氏(当時 鉄道友の会静岡支部 私も高校生の時にお世話になりました)

キハD17は桜ヶ池方面(右手)から浜岡側へ走行(左岸の下流側から撮影)

桜ヶ池側の2スパン

浜岡側の3スパン

桜ヶ池側の2スパンが延長時の橋梁と判断して模型化することにしました

梁桁の上にはどのような路盤になっているのでしょうか?

駿遠線の他のパイル橋脚と比べると立派です

新野川橋モジュール 完成までお付き合いください