駿遠線新野川橋 その4

あらためて「駿遠線新野川橋」の工作を記録しておきます

桐の集成材 L:910 W:200 T:13
両端に四角の穴を開けました
堤防部分の線路基盤を固定しました

高さの微調整用のアジャスターを付けて

板厚13+角材30+14=57

基準高さ61mmはコルクシートとアジャスターで合わせることにします

橋梁部分の3Dプリントを発注します

新野川橋梁も再開

玄関工房再開に伴って3Dプリントの新野川橋梁も少し修正しました

基盤取付のアジャスターを隠すことにより、川面までの高さを7mm深くしました

(トミックス線路下を60mmとして、アジャスターでの調整は1mm)

橋脚と橋梁本体をプリント用に配置して

.stlもOKです

玄関工房再開

4月に入り

庭の梅も咲きだしました

そろそろ玄関工房を再開したいと思い、倉庫から桐の集成板を出してきました

板の両端にドリルと廻し引き鋸を使って、四角の穴を開けました

完成すれば隠れてしまうので、それなりの工作ですが・・・・・

半年後の「第20回軽便鉄道模型祭」に向けて進めていきます

遠州へ行ってきました 2月16日

遠州二日目

ホテルプレストン吉田の朝食

手作りでいつも美味しく頂いています

吉田町から御前崎市の池宮神社へ

中学校の遠足以来の桜ヶ池

神聖な雰囲気が素敵でした

新野川橋を観察へ

「駿遠線を歩く」に掲載されている約60年前の写真と比較します

模型化へのイメージが掴めました

東名高速で掛川IC~浜松西IC

恩師にお目に掛かるために「遠州栄光教会三方原」へ伺いました

ここからは久しぶりに国道257号線を通って高山へと向かいます

本長篠からは県道32号 

奥三河は高山からの日帰りドライブではちょっと遠くて未知の地域です

「道の駅したら」で休憩

特製鶏そば醤油味

田口線の電車が保存公開されています

電車の中には森林鉄道の案内もされており

奥三河郷土館内にも

森林鉄道の展示コーナーがありました

このような写真を見ると、森林鉄道モジュールを作ってみたくなりました

その後、恵那・中津川・下呂を経由して夕方帰宅しました

二日間の総走行距離622.3Kmはガソリン1回の給油走行距離でした

駿遠線新野川橋 その2

内藤正己氏の写真に登場したキハD17

鉄道友の会静岡支部の貸切列車です(私も「大井川~堀野新田廃止時の撮影会」に参加しました)

撮影場所で列車を停めて、降車して撮影、また乗車して移動・・・・

123D Designで描いたキハD17

このデータをFusion360にインポートします

動力ユニットを床下に収めて

部品をすべて結合して

青色のみですがレンダリングして(正面の金太郎の塗り分けが面倒なので)

車両の中心に合わせてパネルを描き

そのパネルに写真をデカール機能を使って貼り付けます

写真のサイズを車体に合わせ

レンダリングでも確認してから

パネルの写真に合わせてスケッチをします

ここからスケッチを押し出して

立体にしていきます

3DCADの面白さです

駿遠線新野川橋 その1(序章)

早いもので、2月に入りました

昨年は駿遠線袋井工場を作りましたが、今年は「新野川橋付近」を作ります

実は袋井工場の前に新野川橋を予定していましたが、資料集めなどが間に合いませんでした

鉄道車輌に比べて、軌道敷の資料は見つけ出すことが難しと思います

駿遠線新野川橋は現在の御前崎市にありました

昭和23年の堀野新田と新三俣間の接続時点に開通しています

GoogleMapのR150、くれたけイン御前崎近くの道路橋の位置に駿遠線新野川橋がありました

道路橋延長は?

昭和47年と平成6年に架けられ、共に61.6mあります

この赤点が公開されている橋梁資料です

「全国Q地図」をご紹介します

全国の橋の名前・池の名前・バス停の名前などが公開されています

出典を明示します

1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」も公開されています

地震前(2020,2022年)

輪島市門前町黒島地区

港が4m隆起した様子が良く分かります

このように地図を選択することにより比較できます

新野川橋に戻って

「軽便の思い出(阿形昭著)」に記載されている駿遠線線路平面縦断面図では新野川橋の長さは1110×2+1080×1=3300 3スパン計33mです

現在の道路橋は61.6m この違いを調べました

国土地理院空中写真 昭和27年と昭和37年を比較すると

河川改修されて川幅が広くなっているように見えます

下流の河川改修は良く分かります

新野川左岸河口近くが中部電力浜岡原子力発電所です(GoogleMap)

浜岡(池新田)と言う地名は砂丘地帯に出来た池(海岸が隆起して、池が出来た)を開拓して田んぼにしたことによるもの

新野川は排水路として作られた歴史もあるようです

昭和23年に開通した新野川橋がその後いつ(かなりの期間運休になったと思われますが)どのように改修されたかは記録を見つけることができません

昭和37年の空中写真を拡大すると、橋脚が4基あり、5スパンとなっています

駿遠線を歩く(阿形昭著)P39 撮影 内藤正己氏(当時 鉄道友の会静岡支部 私も高校生の時にお世話になりました)

キハD17は桜ヶ池方面(右手)から浜岡側へ走行(左岸の下流側から撮影)

桜ヶ池側の2スパン

浜岡側の3スパン

桜ヶ池側の2スパンが延長時の橋梁と判断して模型化することにしました

梁桁の上にはどのような路盤になっているのでしょうか?

駿遠線の他のパイル橋脚と比べると立派です

新野川橋モジュール 完成までお付き合いください